函館市にある GLAY オフィシャルショップ「G4 Space」の前身であるミュージアム記念館「Art Style of GLAY(アート・スタイル・オブ・グレイ)」について、略歴と当時のコンテンツの内容、惜しまれながら閉館になってしまった理由などについて紹介します。
GLAY ミュージアム「Art Style of GLAY」は2003年に、函館湾に望む
函館市末広町の海辺(金森美術館の隣り)にオープンした記念館です。
(「アート・スタイル・オブ・グレイ」は、ファンの間では『函館にある
GLAY の博物館』とも呼ばれています)
これらの ↑ 2枚は2014年6月現在の様子です。
目次
オフィシャルミュージアム「Art Style of GLAY」の歴史
このミュージアムは GLAY の歴史の中ではけっこう昔のことになるので、
略歴をまずまとめておきます。
- 2003年5月8日 プレオープン
- 2003年7月中旬 グランドオープン
- 2006年5月8日に閉館することが発表される
- しかし、存続を求める声が多く、2006年5月11日から
再び営業を開始 - 2006年10月31日で閉館する予定だったが、その期日が
延期された - 2006年12月23日 2007年1月10日で閉館することが
発表される - 2007年1月10日 最終的に閉館
昔を懐かしみながら、ちょっと回顧録みたいに書いていきますが、
2003年7月なので、ちょうどメジャーデビューして10周年の時で、
28thシングルの「BEAUTIFUL DREAMER, STREET LIFE」をリリース
する少し前くらいにミュージアムは開館しています。
末広町の Winning Hall(ウイニングホール)という建物の 1~3F に、
北島三郎さんの記念館と一緒にテナントとして入っていました。
因みに、北島三郎さんと GLAY は、共に函館市から「函館市栄誉賞」を
1999年8月9日に贈られています。
当時はどんな感じだったのか?参考までに営業時間などの細かいデータ
を書き残しておきます。
【追記】
北島三郎記念館は老朽化が原因で2021年8月31日(火)に閉館しました。
記念館が入っていたウイニングホテルも一緒に閉鎖となりました。近年は
入館者数の減少が長く続いていて、そこに折りからのコロナ禍で更に深刻
な影響があり、施設の建て替えという選択に至らずに終焉を迎えました。
Art Style of GLAY の当時の詳細情報まとめ
- 郵便番号・住所 〒040-0053 北海道函館市末広町22-11
※ リンクから GLAY スポットの地図を見れます - 連絡先 TEL 0138-23-0901
- 営業時間 チケット販売時間 9:00~19:00
閉館 20:00 - 定休日 無し
- 駐車場の有無 有り(敷地内に屋外無料駐車場)
- カードの使用 不可
- 公式サイト Winning Hall ウイニングホール
- 備考 ミュージアム「Art Style of GLAY」の公式サイトは現存
していません - 営業していた当時の入館料
- 中学生以上の大人 1500円
- 80歳以上の高齢者 750円
- 中学生未満の子供 400円
- 6歳未満の幼児 無料
記念館の歴史について調べてみると、コンテンツの内容に対して入場料1500円
というのはおおむね不評で、高すぎるという意見が多かったです。
ま、でも一般に、小樽市にある石原裕次郎さんの記念館なども同じなのですが、
基本的に施設を維持して運営・管理するためのコストが大きくて大変なので、
入場料やグッズ代は総じて高くなる傾向があるものですけどね…。いつも
ライブに参戦しているような熱い GLAYER さんたちからすると、
確かに「あぁ、あれね… あったねこんなの、あんなの… 」と言えるような
コンテンツが館内には多く展示されていて、初めて見る時にはけっこう
目新しくて楽しかった印象ですが、でも歩きながら普通に通り過ぎると数分で
各コンテンツを見終えてしまって、「え?もう終わり?これで1500円は… 」
という感じだったようです。 …という訳で、当時はどんな展示品などが館内で
飾ってあったのか?主なコンテンツを記録しておきます。
Art Style of GLAY で観れた思い出のコンテンツの面影
アート館の歴史を振り返ってみると、時期によって展示されていたコンテンツ
の内容には若干の違いがありました。
できる限り当時の主なコンテンツを多く収録して、アーカイブ(アンソロジー)
としてこの記事では記念に永くずっと残しておこうと考えました。
この GLAY BEAR も当時、すごい人気がありましたね…。
EXPO ’99 SURVIVAL の時のステージセットの模型です。その他にも、
Heavy Gauge ツアーなどのステージセットの模型が展示されていました。
これは「JAL Presents 日中国交正常化三十周年特別記念コンサート
〜 GLAY ONE LOVE in 北京」公演の時のステージ衣装です。
GLAY EXPO 2001 GLOBAL COMMUNICATION 北海道公演のオープニング
ムービー pure soul で登場した GLAY ロボットです。
デロリアンのように、色んなアーティストが GLAY とコラボしたアート
作品が記念館の中には飾られていました。
4D シアターのメインスクリーンでは、歴代の曲の PV や、98・99年の
pure soul ツアーの
ドキュメンタリー映画「pure soul “MOVIE” ~ここではない、どこかへ」
などが上映されていました。
Art Style of GLAY が閉館することになった2つの理由
そして、オシャレで、当時としては最先端のビジュアル表現などを追求した
エンターテイメント施設を目指しながら
開館してもうすぐ丸3年が経とうとしていた頃に、閉館の時期が訪れます…。
この閉館の理由については、今でも「どうして?」という声が多いです。
そこで、アート・スタイル・オブ・グレイの歴史を記録しておく記事として、
最後にアート館が閉館になった理由について綴っておきます。
2007年当時は、北海道新聞(どうしん)などの色々なメディアがこの話題を
取り上げています。
そして、近しい関係者のお話を踏まえて閉館の理由を整理してみると、主に
以下の2つのようになります。
開館して3年が過ぎて来館者数が減少していたから
この常設の展示室(ギャラリー)の運営・管理について、丸3年が経とうと
していた時に閉館する理由に、利用者数の減少はどうしてもありました。
例えば、サイトの運営・管理の仕事も似ているのですが、多くの人が注目して
いて需要があるコンテンツをどんどんと更新して増やしていかないと
アクセス数(PV)を維持して伸ばしていくことは一般に難しいです。2003年
以降、GLAY の活動は海外へ目を向けたりして
表向きは華やかに盛り上がっていましたが、函館市の海辺のスペースに記念館
を設けて、そこに常に経営上で問題がない程度の
来場者を招き続けることには、、経営面での難しさがあったと、容易に想像が
できます。
ただ、この入場者数の変化や減少には実は諸説あって、あまり減ってなかった
とか、問題は別に無かったという見解も当時はあったんですよね。
ですので、この1つ目の理由については今もある程度の不確かさがあるのだと、
調査してみて結果として分かりました。
事務所を独立して係争中で経済的に苦しかったから
これはどういうことか?というと、上記の閉館までの流れと、2005~2007年
当時の GLAY の活動状況を見比べてみると分かり易いです。
2005年5月以降に、前の所属事務所であるアンリミテッドグループと GLAY の
メンバーの間で、ライブの出演料や曲の印税収入などの支払いを巡って
トラブルが起きています。そして、GLAY はその時に所属事務所とのマネジ
メント契約を解除して独立しています。
更にその後、未払いの問題について訴訟を起こしています。この第一審の裁判
が東京地方裁判所で結審したのが2009年10月22日で、
この時は GLAY 側が完全に勝訴となっています。で、その後にアンリミテッド
グループ側が控訴して… と訴訟が続くのですが、
このような状況下で最初に「2006年5月8日に閉館する」と発表しています。
この2006年5月当時は、GLAY からすると事務所を独立して、
裁判を起こして係争中であり、テレビやラジオ、雑誌などのメディアへの露出
が極端に減っていた時期でした。
(この時には、以前の所属事務所から圧力を色々とかけられて芸能界から
干されて消えたとか、軽々しく書き立てるゴシップが乱れ飛んでました…)
つまり、簡単に言えば身の周りのゴタゴタが大変で、しかも訴訟の主な内容は
金銭問題であった訳で、表舞台から姿を消していた面もあって、
経済的にミュージアムを自身で維持して運営・管理していくことが困難だった
のです。バンドとして裁判を抱えていて、その他に音楽活動の先行きが
全く見えていない中で、メンバー側が自己負担でいつまでも記念館を維持して
いけるのか?と考えると、特にリーダーである TAKURO さんは
メンバーやスタッフ、その周りにいる家族などの生活を守っていかないといけ
ない問題に直面していた時期ですので、2006年5月の時点で
各種の権利関係の契約などが節目を迎えたこともあって一旦、閉館にしようと
判断したのは、ファンなら納得できる流れと言えます。
余談ですが、2006年5月8日に閉館すると発表していて、すぐ5月11日に営業
を再開しているあたりについては、GLAY のメンバーの
心遣いや優しさなどが感じられました。そして、2007年1月10日(水)以降
にはファンの間でアート館の復活を望む声があり続けて、
「いつかまたどこかの街で、形を変えてであっても始まってほしい…」
のように多くの人から言われていました。
その後、4年半くらいの間、GLAY ミュージアムは姿を消すことになります…。
その後 G4 Space へとつながっていった運命の糸
さて2007年1月以降、記念館の復活の話は G4 から特に出てきてはいずに、
静かに年月が過ぎていきます。
そしてある時、函館市内でメンズファッションのセレクトショップ SODAPOP
を経営していた齋藤輝(さいとうひかる)さんが
仕事で東京の商品の仕入れ先を訪れて、そこで GLAY の JIRO さんと初めて
対面します。(この出会いは2000年でした)
話をしているうちに2人は同じ 私立函館大谷(おおたに)高等学校 の出身で、
実は JIRO さんの後輩だった(1973年8月25日生まれで1コ下)と分かり、
それ以降、齋藤輝さんは GLAY のメンバーとのお付き合いが始まりました。
それから、2007年以後に復活のための具体策は無かったけれども
「ファンが皆で気軽に立ち寄れるような、オフィシャルの記念館やショップ
みたいな空間をまた設けたい」
と願っていた GLAY のメンバーに対して、接点があって交流していた齋藤輝
さんが、セレクトショップを展開していて
色んなブランド品が置いてあったご自身のお店「SODAPOP」内の一角を GLAY
のために提供することを提案して、そのご厚意で
2011年7月に「Art Style of GLAY」の後継者として「 G4 Space 」をオープン
できることになりました。
齋藤輝さんにとってはご自身のお店の一部に GLAY 関係のオフィシャル
ショップを設置することで
多くの GLAYER さん達が訪れてくれるようになりますし、G4 側からしたら
気心が知れている経営者の方に
アート館の後継施設を任せられるようになり、お互いにとって、そして更に
函館市にとってもこの機会は有意義なチャンスとなりました。
その後、2013年5月、ちょうど GMDN Vol.1 の直前に SODAPOP と G4 Space
は現在の住所(函館市松風町6丁目)に移転してスペースが拡大しています。
- 郵便番号・住所 〒040-0035 北海道函館市松風町6-18
※ リンクから GLAY スポットの地図を見れます - 連絡先 TEL & FAX 0138-22-8277
- 営業時間 11:00~20:00
- 定休日 火曜、第3月曜日
- 入館料 入場は無料です
- 駐車場の有無 無し
- カードの使用 不可
- 公式 Facebook ページ SODAPOP
- 公式サイト G4 Space
「G4 Space」では GLAY のメンバーの衣装や楽器、ツアーグッズ、昔のレアな
品物、企業とコラボして生まれたノベルティグッズなどの
ゆかりのアイテムが数多く展示されています。店内の大きいモニターではライブ
映像を見ることができます。
オリジナルグッズを含めてオフィシャル商品の販売を行なってもいます。でも、
店内では写真撮影が基本的に禁止されていますのでご注意下さい。
GMDN Vol.1 以後には LiB CAFE(リブカフェ)も一緒に開設されてきて、
ファンにとってはまさにミュージアム「Art Style of GLAY」が
進化して帰ってきたような環境となれています。SODAPOP のスタッフである
澤田さんや齋藤さんによると、
G4 Space を訪れるファンの皆さんの方が細かい展示品について
「 このギターはあの時のライブで使ったモノで… 」
などと詳しく知っていることが多く、展示品についての質問を受け付けていて
も、あまり聞かれなかったそうです。
- 2015年の夏にあった GLAY LiB CAFE in G4 Space の様子
- 大嵐でも笑顔が沢山咲いた… GLAY GMDN Vol.1 ライブレポ
齋藤輝(愛称 ヒカル)さんには、
” ファンの皆さんが何度でも訪れたくなるような場所にして、函館の魅力を
ここで積極的に発信していきたい ”
とのお気持ちがあるようです。
2011年7月以降、G4 Space が閉館するなどの情報はまだ出てきてないですが、
函館市でずっと元気に続いてくれることを願っています。
また機会があったら、いつでもこの街へ帰ってきて下さい
自然と街と人のあたたかさが、あなたを迎えてくれます…
Presented by HAPPY SWING 25th Anniv.
アート記念館は当時、何度も通いました
閉館するって聞いた時は悲しくて、、
こちらの記事を偶然に見かけて、昔の記憶が一気にこみ上げてきて… 泣いてしまいました
素敵な記事をありがとうございます (“Ü”)
3月6日に、金森ホールでのリーダーのインストライブの帰りにこの辺りを通りかかって、昔を思い出してしんみりとしてしまいました..
でも、アート館と G4 Space の関係って知りませんでした
そんな歴史があったんですね
Φ(.. )メモメモ
この GLAY ロボットと GLAY BEAR、ちょー懐かしい!! (*≧∀≦*)
アート館の後継者がG4スペースだって、はじめて知りましたヽ(´Д`;)ノ
そう言われると、、そうですよね..
当時は独立した直後で時期が悪かったから、アート館の経営が続かなかったことって、仕方なかったように思えますね
事務所やレコード会社などとの関係が一旦、全部なくなった訳で、裁判を抱えてたし、収入はメンバーに入ってきてなかったし、その状況でミュージアムの存続をずっと図るのは難しかったのでしょうね
アート館は実は5回くらい、閉館までに通ってました
函館にあるGLAYの象徴のような感じの場所だったけど、
時を経て人様のご厚意でしっかりと G4 Space に受け継がれて、、
ファンもメンバーも函館の人も,,,幸せだと今は感じます (´;ω;`)
アート館のグッズは今でも大切に保管してあります (*´∀`*)
閉館になったあの時は、憶測が色々と飛んだりして大変だったけど、でもGLAYが変わらずに元気でいてくれて嬉しい!!
あの、JAMのユキちゃんとJIROさんが昔に付き合ってたってホントなのでしょうか?!😭
この記念館があった頃、グレイは全盛期だったと思うけど、「入場料高すぎね?!」って思ったのを覚えてるw
HIKARUさんもカッコいいけど、JIROちゃんとそんな関係があったなんて、、知りませんでした.. おな高の先輩と後輩だったんですね😄
ミュージアムがなくなった時、もっと行っておけばよかったなーって後悔をしましたね.. いつも開いてると行かないくせに、無くなると急に行きたくなって、、人って身勝手な生き物ですよね😅
G4 Space をつくってくれたヒカルさんには感謝したいです.. すごく雰囲気が良くて楽しいから、ついつい長居をしたくなっちゃう場所なんですよね😁✌
ところで、サブちゃんの記念館はいつまでも大丈夫なの?!
グレイですら経営は大変だったのに。。😣
小樽の石原裕次郎記念館も、もうすぐ閉館するんだよね..
実は今まで普通にHIKARUさんの方がJIROちゃんより年上だと思ってた件
ヒカルさんの方が1コ下の後輩だったなんて衝撃…😵
できれば残っていてほしかったな。。
HIKARUさんって人当たりが良くて優しいから、カフェとかのお店をするのに向いてるよね絶対‼
実際、リブカフェも G4 Space でやってるしね😁
HIKARUさんとJIROさんは昔、一人の女性をとり合ってたってホントですか?!🙄
このミュージアムは、ゆっくりお茶できるカフェみたいなのが一緒にあれば良かったかもね
今のリブカフェみたいな感じの..
あっという間に通り過ぎちゃって、少しあっけなかった感がありました😑
なつかしい。。
できるならもう一度観たいですね
昔、アートスタイルを観てから上の階のホテルのレストランで食事を楽しんできた思い出があります (*´∀`*)
私、アートは行ったことないんですが、ミュージアムに飾ってあったモノが今の G4 Space に移されてるんですか?🙄
あの頃、経営難になっていた事情があったのね..
もっと行ってあげればよかったです (´;ω;`)